「喜びの詩」 第34号 2008年8月8日
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目次
□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
■ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
○ 他者との間の感情と体験
○ 悪と罪
○ 勝利感と敗北感
○ 敗北感の解消
● 他者への典型的な行い (○前半/●後半)
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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他者に感謝するという行い、
それは、他者から喜びを与えられて、その喜びの思いを相手に向けて示すこと。
その行いは、自分と他者を、ともに勝ちの状態に置くもの。
互いの行いとして、感謝し合うという状況は、
互いの善行が、理想的に成就した状況。
また、互いの勝利感が、全体として最大化した状況。
互いの存在が喜ばしく、他者が他者であることが喜ばしい状況。
つまり他者という表現が、その主題を最も満たしている状況。
感謝は、特定の相手に向けられるものとは限らない。
たとえば、何かを達成したときに、
「ついに自分はやった」という喜びと、「ありがたい」という感謝とが、同時に生じうる。
この感謝が向けられる相手とは、この状況を成り立たせてくれた全てのもの。
それは自ずと、自分を超えた上位の働きにも行き着く。
つまり感謝は往々にして、他者全体に向けられ、それを包含する神に向けられていくもの。
最終的に、あらゆる感謝は、神への感謝に行き着くもの。
他者が、「もともとの意識」によって「演じ」られたものなら、
他者に感謝するということは、結局、「もともとの意識」に喜びの思いを向けること。
つまり、あらゆる感謝は、「もともとの意識」が喜ぶということに等しくなる。
感謝の行いは、見えない他者や、他者全体に捧げるのは、時に難しくもある。
感謝の思いは、こうした際も有効であり、実際に他者に正の影響を与えうる。
思いであれ、行いであれ、常に感謝を絶やさないことで、
自分の中に、正の感情が保たれることになる。また、
他者との間で、影響の収支が良好に保たれることにもなる。
前者は「具現化作用」に働きかけ、
後者は「収支平衡作用」に働きかけることで、
いずれも、正の結果を引き寄せることになる。
つまり、感謝をするのは、他者のためであり、自分のため。
自分の中に正の感情を保つには、
周囲のあらゆるものごとを他者に見立て、感謝することが有効になる。
自分の体やこれまでの境遇など、「自分の個性」に感謝することも、これに含まれる。
他者との間で影響の収支を良好に保つには、
恩のある相手に感謝することが有効になる。
まずその筆頭は、この世界に自分を存在させてくれた、親。
そして、親をこの世界に存在させてくれた、先祖。
そして、成長のための環境を成してくれた、兄弟姉妹。
そして、新しい家族を成していれば、その一人一人。
その他、個人的に社会的に、直接的に間接的に、恩のある様々な相手。
恩のある相手を恨んだりすれば、影響の収支を歪ませることになる。
恩の大きい相手であるほど、その歪みは大きくなりうる。
その負の結果は、「収支平衡作用」により、思わぬかたちで現れうる。
たとえば、思いや行いを尽くして、何かの達成を目指していながら、
親に感謝していないために、正の結果が得られないということがあっても不思議はない。
存在の恩とは、それだけ重いものでありうる。
周囲のものごとや、恩のある相手から、時に苦しみがもたらされることもありうる。
それでも感謝を絶やさないためには、そうした現状にも、喜びを見いだしていく必要がある。
そのためには、現状が存在しなかったらどうだったかを、想像することが有効になる。
たとえば、自分の人生もなく、一切の表現もない、全くの無と比べれば、
現状がどんな状況であれ、それが存在する方が、喜べることに気づく。
つまり、存在そのものには、常に感謝できることに気づく。
あらゆる他者を含む、現状というものの存在自体に喜びを見いだす。
この視点に立てば、最終的に、他者に感謝していける。
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他者を愛するという行いは、
他者を自分と一体の存在と見なしてふるまうこと。
ここでは、
他者のことが他人事でなく、まるで自分のことになっている。
自分が拡張し、他者がいわば自分の一部になっている。
つまり他者を他者と見ず、自分と見なしている。
他者の喜びが、自分の喜びになり、
他者の苦しみが、自分の苦しみになっている。
自分にとって、そこに勝ち負けの構図が成り立たなくなっている。
「愛している」とは、つまり「自分のことのように大切に思っている」という意味。
それは、好きか嫌いかを超えている。
愛の行いは、相手に与えることを喜びとし、見返りを求めないもの。
自分と見なす相手に喜びを与えることは、もはや自分が喜びを得ることと同じ。
愛の行いは、相手に真に大きな喜びを与えるために、時に目先の苦しみを与えもするもの。
量の豊かな喜びを与えようとするとき、愛は優しさになる一方、
質の高い喜びを与えようとするとき、愛は厳しさにもなる。
相手を単に好み、相手に気に入られようと思い、
相手を自分のものにしたいと思い、相手から何かをしてほしいと望むのは、
愛とは異なる。それは、他者を他者と見て、あくまで自分の喜びを求めている状態。
愛は、「個としての自分」の喜びを追求するものではない。
愛する相手が苦しめば、その分、自分も苦しむことになる。
しかし、愛する相手が喜べば、その分、自分も喜ぶことになる。
そして、自分には、愛する相手を喜ばせるという選択肢が許されている。
結局、愛する行いには、自分だけでは体験できない大きな喜びが、可能性として含まれる。
親が子を育てるときや、男女が引き合うとき、愛は、生物の本能と重なって生じうる。
そしてそれ以外でも、愛は、純粋に自由な思いとして生じうる。
前者の愛は、相手を限定するものの、最も強くなりうるもの。
後者の愛は、強さでは劣るものの、相手を限りなく広げうるもの。
そして、後者の愛は、社会における多くの苦しみを、解消する手段になりうるもの。
もともと他者という表現が、喜びを主題にして生まれたとしても、
それがありありとした現実性をもつ以上、伴ってしまうのが負の関係。
愛とは、他者を他者と見ないことで、その表現の負の部分を、打ち消す働きを担うもの。
ゆえに、社会における争い、差別、孤立、利己主義、
こうしたものを抑える上で、愛は有効なものになる。
愛は、自然に生じうるもの。
また愛は、自分が望めば、あらゆる他者に対してもてるもの。
自分と他者が、もともと全く別な存在なら、こうしたものは成り立たないはず。
こうした愛は、もともと一体の存在が、もとのありように回帰する姿としてのみ成り立つもの。
人にとって、愛が生じうるのは、自分を拡張しうるとき。
それは、自分の中に勝利感が、ある程度満ちているとき。
また、能力や人格が、ある程度高まっているとき。
たとえば、他者の幸せを見て喜びを感じ、他者の不幸を見て苦しみを感じうるとき。
たとえば、他者の立場への想像力や、他者に何かを分け与えるだけの気力を有しているとき。
「もともとの意識」を、神に見立てるなら、
それは、自分の中に喜びが、無限に満ちている存在。
また、能力と人格が、無限に高まっている存在。
よって神とは、自分が無限に拡張し、無限の愛をもっている存在。
つまり、全ての生命体のことを、全く自分のこととして感じ、思っている存在。
これは「もともとの意識」が、全ての生命体を自分で「演じ」ていることの、裏返しにあたる。
人にとって、愛が生じやすいのは、他者に自分を投影をしやすいとき。
それは、自分と共通する属性や、自分が好む属性を、他者がもっているとき。
たとえば、人は往々にして、
過去の自分と同じような境遇にいる他者を、助けたくなる。
他者に自分の好きな点があると、味方になり、応援しようとする。
つまり、他者に自分を見いだし、その立場を他人事と思えなくなる。
人にとって、愛が生じにくいのは、他者に自分を投影をしにくいとき。
それは、自分と違った属性や、自分が嫌いな属性を、他者がもっているとき。
たとえば、人は往々にして、
自分と違う集団に属する他者を、より冷たく扱おうとする。
他者に自分の嫌いな点があると、敵対し、孤立させようともする。
つまり、他者を他者としか見ず、その立場に思いを馳せられなくなる。
このように、他者がもっている属性次第で、愛の生じやすさが変わりうる。
それは往々にして、実にささいな属性によって変わりうる。
属性の状況に頼った愛は、その分、移ろいやすいもの。
しかし、全ての愛がそれで尽くされる訳ではない。
属性の状況によらずとも、愛は生じうるもの。
自分も他者も、同じ命をもつもの。つまり、
自分も他者も、意識をもつもの。
これは、あらゆる属性を取り払って残る、揺らぐことのない共通点。
この共通点に基づいて、愛は生じうる。
自分も他者も、その個体を「演じ」ているのは、同じ「もともとの意識」。
この視点に立てば、最終的に、他者を愛していける。
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あとがき
感謝というのは、プラス思考の中でも極めつけのものとして、よく挙げられます。
もし思いを“波”として見るなら、感謝の状態の波形は、最もきれいな喜びの波形と、
ちょうど一致するものにあたるでしょう。
「全ては一体」という東洋的思想は、総論として割と受け入れられていると思いますが、
各論の中でまともに考える機会は少ないように思います。
他者との関わりにおいては、それを考えることで、様々な気づきが得られることになります。
次号からは、より多くの他者との関係、社会との関わりについて考察していきます。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info
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