「喜びの詩」 第26号 2008年7月4日
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目次
□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
■ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
○ 感情の循環
○ 体験の循環
○ 完全さと不完全さ
○ 苦しみの成り立ち
● 苦しみの解消 (○前半/●後半)
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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苦しみを解消するにあたって、有効な解し方や考え方がいくつかある。
一つは、現状をより苦しい状況と比べること。
冷静になってみれば、自分の現状より苦しい状況は、いくらでもあるはず。
たとえば、ある尺度で見て、自分の現状より喜ばしい状況があっても、
向上の余地という尺度で見れば、現状の方が喜ばしいものでありうる。
つまり、他と比べれば、現状を喜べる視点はいくらでもある。
相対的な視点ではあっても、ここに立つことで、苦しみを解消していける。
一つは、現状を全くの無と比べること。
表現においては、上には上があり、下には下がある。
他と比べて、自分の現状が上であることを喜ぶなら、きりがなく喜べる。
しかし同じ仕組みで、自分の現状が下であることを苦しむなら、きりがなく苦しみうる。
こうした相対的な見方を超え、何の表現もない全くの無と比べれば、
現状がどんな状況であれ、その存在そのものに喜びを見いだせる。
「存在することがうれしい」「生きていることがありがたい」
この絶対的な視点に立つことで、苦しみを解消していける。
一つは、過去と未来の苦しみを手放すこと。
人の苦しみの内、実際多くを占めているのが、
過去のことに対する怒りや悲しみと、未来のことに対する恐れ。
もし、過去も未来も忘れ、今本当にあるだけの苦しみを残せば、それは小さいものでありうる。
今、それに耐えられるなら、また、その今を、ずっと続けていけるなら、
耐えられないような苦しみは、結局、訪れることはない。
過去でも未来でもなく、今を生きることで、苦しみを解消していける。
一つは、先にある喜びを思うこと。
今苦しみに思えることでも、
自分の成長や、他者への善行になることであれば、
それをなしとげることで、結果として、より大きな喜びが得られる。
先にある大きな喜びを、強く思うことができれば、
目先の苦しみは、もはや苦しみでなくなる。
目指す喜びに、思いと感覚を向けることで、苦しみを解消していける。
一つは、苦しみという評価の成り立ちを思うこと。
現象に初めから苦しみの色が付いている訳ではない。
自らの感じ方によって、苦しみを読みとっている。
自らの解し方や考え方によって、それを苦しみと思い続けている。
その他に苦しみを強制するものは何もない。
現象への評価は、常に相対的なものだと気づくことで、苦しみを解消していける。
一つは、苦しみそのものの成り立ちを思うこと。
誰もが向かっている先が、苦しみでなく喜び。
何ごとも大局的に見れば、苦しみでなく喜びが勝る。
「有、無」の対照で見れば、苦しみでなく喜びの方が「有」。つまり、
生という体験を、情報の表現として見るなら、その主題は、苦しみでなく喜び。
苦しみは、喜びという主題を、ありありと表現するために駆り出された副産物。
だとすれば、生において、ありありとしたものとして味わうべきは、喜びの体験。
苦しみの体験は、改めて、情報の表現として見るべきもの。
こうした積極的な姿勢をとることで、苦しみを解消していける。
一つは、世界の成り立ちを思うこと。
一切の対象が生まれる前に、それを生み出す主体として「もともとの意識」があったとすれば、
ありありとした、物質、肉体、現象、感覚、これら全ては、
「もともとの意識」のもとで展開したもの、つまり情報ということになり、
そこでの生の体験は、情報に沿って意識が「演じ」る、壮大な「遊び」ということになる。
よって、そこで何が起きても、
本当の自分である「もともとの意識」が、本当に傷つけられることはない。
この構図に立ち返ることで、苦しみを解消していける。
一つは、自分を超えた上位の存在を思うこと。
全くの無から有は生じない。とすれば、
あらゆるものごとは、より上位の存在があって成り立つことになる。
全てを成り立たせている、より上位の存在を思えば、それは「完全な」神に行き着く。
それは、すばらしいと考えられるあらゆる特性を覆う存在。
そしてその存在によって、この自分も成り立っている。
たとえ今の自分が、「不完全さ」を伴う現実的な世界の中で、
苦しみを選ぶ自由を、誤って行使することがあっても、
本当の自分のありようは、やはり「完全な」もの。
このありように思いを集めることで、苦しみを解消していける。
目の前の状況がどうあれ、解し方や考え方を選ぶことは、人にとっての確かな自由。
苦しみを解消するような、解し方や考え方を選べば、
解し、考えた通りの状況を、体験世界に映し出し、
そこに正の循環をつくっていくことも、やはり可能。
解し方や考え方によって、思いが急激に変われば、その分、状況も劇的に変わりうる。
自分の体、他者との関係、社会のものごと、いずれにもこれはあてはまる。
それは、いずれもが、意識と連動するところをもつゆえ。
一見すれば、いずれのありようも複雑で、容易に変化し難く見える。
しかし、その変化をまとめ上げるのは、無限の処理能力をもつ「自動の働き」。
人は、難しく考えずとも、ただ、かじ取りをすれば済む。
生という体験は、もともとそうした、圧倒的な補佐がなければ成り立たないもの。
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あとがき
ここでは、苦しみを解消するための、具体的な解し方や考え方を取り上げました。
全てを試せば、その時の自分にとって有効なものが、どれか見つかると思います。
ちなみに、それぞれの内容は、これまでの全体の内容を短く総括するものにもなっています。
ここで、「自分の生」についての考察は一段落し、
次からは、「他者との関わり」について探っていきます。
次号ではまず、他者との間における感情と体験について考えます。
それではまた。
(次号の発行は再来週の14日です)
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
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