「喜びの詩」   第24号 2008年6月27日

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目次

□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
■ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
   ○ 感情の循環
   ○ 体験の循環
   ○ 完全さと不完全さ
   ● 苦しみの成り立ち
   ○ 苦しみの解消
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 苦しみの成り立ち


苦しみはもともと、生というものの主題ではない。
それは、喜びという主題をありありと表現するために、必然的に生まれた副産物。

苦しみは、
喜びの欠乏や無というものをかたちにし、
喜びに輪郭を与え、
喜びに程度や増減を伴わせる。
それによって、
喜びのありようはつじつまの合ったものになり、
喜びの味わいは明瞭なものになり、
喜びの展開は抑揚をもったものになる。

苦しみは基本的に、
喜びの欠乏を告げ、その方向へ進まないよう促す、信号としての役割を果たす。
その意味では、苦しみを肯定し、その存在に感謝しうる。
それは、信号が赤になることを望まなくとも、赤信号の仕組みには感謝しうるのと同じ。

正と負を伴う、ありありとした現実的な世界においては、
正も負も選べるということが、自由ということ。
もし、喜びだけを選べて、苦しみを選べないなら、それは自由とは感じられない。
ゆえに、自由な生を成り立たせるには、
たとえその主題が喜びでも、苦しみを選ぶ自由が用意されることになる。
その自由によって、誤る余地も生まれる一方、
喜びを選びとる味わいが、際立ったものになる。

物語が、もし一切の負の要素を含まないなら、それは一歩も展開できず、成り立たない。
物語が展開するとは、表現の状態が変動すること。つまり、正か負へ変動すること。
負がなく、正に満ちていれば、正への変動というものもつくれない。
負があることで、負から正へ、正から負へと、変動をつくれる。
つまり、喜びへ向かって展開する物語は、いくらか苦しみを含むことで成り立つ。
苦しみによって、喜びの物語は、様々な抑揚と彩りを得る。
苦しみを乗り越える展開によって、そこに質の高い喜びというものが生まれる。
つまり苦しみは、大きな喜びを得るための、材料としての役割も果たす。

生というものの主題が、苦しみでなく、喜びであることは、
いくつかのかたちで見いだせる。
一つは、
自分が向かうものが、苦しみでなく、喜びであること。
あらゆる主体が向かうものが、苦しみでなく、喜びであること。
一つは、
ものごとを大局的に見るほど、苦しみが小さくなり、喜びが勝ること。
最終的に全てが、壮大な「遊び」という、喜びの構図に包まれていくこと。
一つは、
「有、無」の展開として、二つの概念の組が生まれたとすると、
喜びの方が、より上位の「有」の表現で、苦しみの方が「無」の表現にあたること。
苦しみは「喜びの無」として生み出せても、喜びは「苦しみの無」からは生み出せないこと。

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人の生の上に展開する、喜びの体験と苦しみの体験は、いずれもありありとした表現で、
また、あくまで対等な表現。

それゆえ人は、喜びの体験と苦しみの体験を、いずれも実在として捉え、
また、喜びと苦しみの両方を、生にとっての主題だと思いやすい。

ここで人は、情報の表現を実在として捉え、副産物を主題だと思うことで、
苦しみの体験に、過大な位置づけを与えることになる。そして、
それに圧倒されたり、その前に委縮したり、それに執着したりすることにもなる。

しかしもともとは、喜びの体験と苦しみの体験は、いずれも情報の表現で、
また、喜びの方が、生にとっての本当の主題。
とすると、ここに一つの姿勢が成り立つ。

「喜びの体験については、
 そのままのありように目を向けて、それを実在として味わい、
 苦しみの体験については、
 もともとのありように目を向けて、それを情報の表現とふまえる」

これは、積極的に主題に沿って、ものごとを捉えていく姿勢。
つまり、進んで喜びを最大化し、進んで苦しみを最小化しようとする姿勢。

この姿勢のもとでは、たとえば、
真、美、賢、明、強、健、愛、善、義、自由などを含む体験を、進んで実在と見、
偽、醜、愚、暗、弱、病、隔、悪、罪、束縛などを含む体験を、進んで情報の表現と見る。
つまり、
正のものごとを、そのままのありようにおいて捉え、
負のものごとを、もともとのありようにおいて捉える。
いわばこの姿勢は、
喜びと苦しみの概念が、「有、無」の展開からなるように、
喜びと苦しみの体験も、「有、無」の対照において捉えようとするもの。

状況に喜びを見いだし、状況を喜べる方向へ動かしていく上で、
こうした積極的な解し方や考え方は、現実の力をもちうる。

一方、もともとのありようなどに頓着せず、目の前のありありとした体験に没頭し、
時に大いに喜び、時に大いに苦しみ、
後々に振り返って初めて、その生が、全体として喜びの物語だったと気づき、
そこに抑揚を与えていたものが、苦しみだったと気づく、
そうした展開も、やはり生という仕組みの「設計意図」の内。

つまり、全ての回り道も、意義をもちうる。
あらゆる苦しみも、成長の糧になりうる。
全く無駄な体験は、生の中には存在しない。
無限の展開の中で、全ては喜びに吸収される。
ただ、限られた時間の中で見れば、
喜びをより大きくする余地があるという意味で、そこに相応の無駄は含まれる。

もともとのありように目を向けて、苦しみの体験を、情報の表現とふまえることで、
大いに苦しまずに済み、より大きな喜びが得られるなら、
それもやはり、生の目的にかなうこと。
それは、喜びの近道を行くことの一つになる。



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 あとがき
ここでは、プラス思考をつきつめたかたちを一つ取り上げました。
人は常に喜びへ「向かう」存在ですが、自由ゆえに具体的な苦しみを「選ぶ」こともできます。
苦しみを好んで「選ぶ」というのも、やはり喜びへ「向かう」主体性の結果です。
この辺を整理するために、「向かう」と「選ぶ」という言葉を使い分けています。
次号では、苦しみを解消する方法について、まずその大きな枠組みを考察します。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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