「喜びの詩」   第6号 2008年4月25日

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目次

■ 世界の成り立ちについて
   ○ 完全な状態
   ○ 表現し、味わう
   ○ 設計し、演じる
   ○ 体験し、補佐する
   ○ 展開のかたち
   ● 因果作用 (○前半/●後半)
   ○ 生の歴史
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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たとえば、「自業自得」、
「悪いことをしたから、罰が当たった」、
「日頃の行いが善かったから、よいことがあった」、
人がこうした考え方を、およそ自然にもてるのは、
直感的に、「収支平衡作用」の存在を認めているゆえ。

「収支平衡作用」とはいわば、「喜びを与えれば、喜びが返される」こと。

「最終的に、他者との間の喜びの収支は、きれいに清算されるべきもの」という考えは、
直感として、また信念として、生命体自身の中に根深くあるもの。
人に限らず、生命体は、およそ何かをされたら、して返す。
それが喜びであっても、苦しみであっても、同じこと。
して返せないと、それは時に、いつまでも気にかかるものになる。
恩返しや敵討ちは、時に大きな困難を排しても、なしとげられることになる。
喜びの収支の平衡とは、生命体にとって、それだけ強い関心と反応を呼び起こすもの。

しかし、生命体自身が、収支を平衡させなくとも、それは自ずと平衡することになる。
その合理性を担う働きが「収支平衡作用」。

人が残した民話や寓話のほとんどは、この「収支平衡作用」を主題とするもの。
善い行いをした者は結局、喜びを得、悪い行いをした者は結局、苦しみを得るという、
時と場所を越えて働く厳密な作用が、そこでは異口同音に語られる。
こうした物語が多く残されたのは、
人が経験の中で、この作用の結果を、いかにたくさん目のあたりにしてきたかを示すもの。
また同時に、それが教訓として多く残されたのは、
人が日常生活の中で、この見えない作用の存在を、いかに容易に忘れやすいかを示すもの。

収支の平衡が実現するには、
生命体の間でやりとりされる影響が、正確に測られ、清算される必要がある。
こうした調整作業も、「自動の働き」の処理能力が無限であることで、成り立つことになる。
そして「収支平衡作用」は、出来事をもたらす際、「具現化作用」と連携する。
出来事はやはり、全く自然なかたちでもたらされることになる。

一生という限られた期間では、喜びの収支が平衡しきらないこともありうる。
そうなっても、「収支平衡作用」は、時と場所を越え、体験世界を横断して働く。
体や体験世界が替わっても、同じ「意識の属性」をもって生を継続する以上、
次の生や、先々の生まで作用は働き、その収支を平衡へ向かわせる。
逆に、今の生での収支の偏りは、過去の生での収支を清算するためのものでありうる。
いずれにしても、必ず収支は平衡へ向かい、合理性が保たれることになる。

他者に与えた影響に応じて、自分に出来事がもたらされると、一つの収支は平衡する。
しかし、そこで生が終わらない以上、
その出来事を受けて、何らかの思いや行いをもち、他者にまた影響を与えることになる。
生が続く以上、影響の収支は、全く平衡したままではありえない。
つまり「収支平衡作用」は、平衡を目指しながら、動的な展開を促すことにもなる。
その展開の望ましい方向は、より大きな喜びを与え、返され、また返す、喜びの拡大方向。

他者に喜びを与えても、自分の中の喜びは、小さくなる訳ではない。
与えた分が返されて、収支が整うとき、自分の中の喜びは、むしろその分大きくなる。
つまり、喜びの収支とは、他者とのやりとりの状況を指すもので、
自分の中の喜びの増減を指すものではない。
もともと、喜びは有限なものでなく、拡大するようにできているもの。

生命体は、生を重ねるほどに、多くの他者と関わり、喜びのやりとりを繰り返す。
そして、多様で複雑な、影響の収支を背負う。
それらは全て、「収支平衡作用」のもとで清算されるべきものになる。
このことは、ある面で見れば、生を縛るようでも、広く見れば、生を豊かに彩ることになる。

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「具現化作用」は、ある面、「苦しみを思えば、苦しみが実現する」こと。
「収支平衡作用」は、ある面、「苦しみを与えれば、苦しみが返される」こと。

つまり「因果作用」は、生命体に、苦しみの結果をもたらしうる。
しかしこれは、原因に誤りがあったことを伝え、それを正すように促す役割をもつ。
つまり、苦しみでなく喜びを、思うように促し、他者に与えるように促す。
そして、促される方向へ向かえば、喜びがもたらされることになる。
結局、この作用は常に、喜びという目的にかなったもの。

そもそも、喜びををもたらす作用と、苦しみもたらす作用は、別々のものではない。
どちらも、原因に応じた喜びをもたらすという、同じ作用。
そこに正の原因を入力したか、負の原因を入力したかの違いがあるのみ。

「因果作用」は、生を破綻させるものでなく、最善のかたちで補佐するもの。
だとすれば、この作用は、喜ばしい正の出来事であっても、苦しい負の出来事であっても、
当事者がそれを受けるのに最もふさわしい時に、その出来事をもたらすはず。
それを受けられない、または受けるべきでない状態では、それをもたらすことはないはず。
このことは、往々にして、後々に振り返ってわかること。

生命体が出会う現象は全て、「因果作用」を経たものになる。
つまりそれらは、何らかの原因を反映し、意味をもつもの。
人は、自分のためにしつらえられたような現象に出会うと、偶然という見方では片づけられず、
なぜこの時、この場所で、自分にそれが起きたのか、原因や意味を考えずにいられない。
それは理にかなった自然なことと言える。

たとえば、山を登る人が、山頂にたどり着いた時に、
ちょうど遠くの雲が割れ、自分のところに光が射した場合、
それは物理的には、ある角度に太陽があり、ある地点の雲が移動したという現象にすぎない。
しかし当事者にとって、その現象との出会いは、それ以上の何かを伝えるもの。
それは、体験する自分だけにわかるかたちで、もたらされるもの。

出来事の意味は、常にわかるとは限らない。
ただ、その喜びの大きさは、負の大きさかどうかも含めて、常にわかる。
結局、それが出来事の伝える主題で、基本的に受け止めるべきこと。

同じ現象でも、感知しないか、遠くで見るか、近くで見るか、自分の身に起こるか、
その出会い方によって、出来事としての意味は違ってくる。
また、同じ出会い方をしても、その受け止め方が違えば、やはり出来事の意味は違ってくる。
「因果作用」は、それら全てをふまえた上で、全てを誤りなく調整し、
それぞれの当事者に、受けるべき大きさの喜びを、確かに届けることになる。



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 あとがき
「収支平衡作用」は、一見、法則と呼ぶにはやや人為的すぎるもののようにも思われます。
「具現化作用」のみが法則で、収支を平衡させる力は大多数の「思い」によるのではないか、
とも考えられます。しかし、物理に「作用・反作用の法則」があるように、
やはり法則として仮定すべきだろうと考え、その線で筋書きを組み立てていったところ、
後々いろいろなことがうまく説明できることがわかってきました。
次号では、宇宙や地球、生物の、具体的な生い立ちについて考察します。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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