「喜びの詩」 第4号 2008年4月18日
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目次
■ 世界の成り立ちについて
○ 完全な状態
○ 表現し、味わう
○ 設計し、演じる
○ 体験し、補佐する
● 展開のかたち
○ 因果作用
○ 生の歴史
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 展開のかたち
ここまでの意識の活動は、
意識に「動」と「静」という二つの側面が現れ、その「動」の側面の中に、
さらに「動」と「静」の側面が現れるという、「動、静」の展開として捉えられる。
「完全な状態」 ──(静)
「意、識」の活動 ──動 ‥‥次へ展開
「識」の活動、情報を取り込む、確かめる、味わう ──静
「意」の活動、情報を生み出す、試みる、表現する ──動 ‥‥次へ展開
無限の可能性から情報を生み出す、「設計」する ──静
活動の軌跡として情報を生み出す、「演じ」る ──動 ‥‥次へ展開
「自動の働き」を「演じ」る、「補佐」する ──静
生命体の個体を「演じ」る、「体験」する ──動
こうした展開の中で、時間と空間が伴うのは、「補佐し、体験する」段階から。
よってそれまでの展開は、正しくは、時間と空間の外の話。つまり、
それぞれの段階は、時間に沿って順に進んだ訳でなく、いわば非時間的に同居している。
また意識は、空間の上で「動、静」に分かれた訳でなく、いわば非空間的に一体のまま。
ここから見れば、たとえば、「完全な状態」にあらゆる「設計」が潜在することと、
それらが全て汲み出されて参照できる状態にあることとは、
いわば非時間的に等しいことになる。
また、意識が、時間と空間に沿って生を「演じ」、
「完全」へ向かう途上の「不完全な」状態にあっても、
時間と空間の外からすれば、意識はやはり「完全な状態」にあることになる。
展開の中の「動」という要素も、正しくは、
時間と空間の上の現象でなく、そのもとになる概念。
まず何らかの「動き」があってこそ、時間と空間も生まれてくる。
「動、静」という組みは、「動」についての「有、無」の展開にあたる。
「動、静」の中に再び「動、静」が現れるのは、相似的な展開にあたる。
「有、無」の展開も、相似的な展開も、
簡単な情報から、多様な情報を生み出す方法。
それは情報を無駄なく活かす、合理的な方法。
ゆえにこれらは、意識による表現において、基本のかたちになる。
「有、無」の展開とは、
ある概念に対して、その「無」にもかたちを与えて、二つの概念の組みを生み出すこと。
たとえば、「光、闇」「熱、冷」「動、静」「喜び、苦しみ」、つまり、正と負の組み。
対照的な二つの概念を組み合せれば、そこから中間的な、多様な状態を生み出せる。
ゆえに、具体的なものごとに備わる、基本的な属性は、
三つや四つでなく、常に二つで組みを成すことになる。
三つ以上の要素があっても、それらはより基本的な、二つの概念によって仕分けられる。
相似的な展開とは、
一つの情報を型にして、それを様々な情報とかけあわせ、新たな情報を生み出すこと。
そこで生まれる情報は、多様でありつつ、秩序を帯びたものになる。
ものごとが法則に沿って現れるということも、
つまりは法則を型にして、相似的に情報が生み出されるということ。
ゆえに、具体的なものごとの間に、隠れた相似を探すことで、法則が発見されることになる。
相似というものは、視覚的なかたちの中に、わかりやすく見てとれる。たとえば、
原子や、太陽系や、様々な集団に共通する、「中心と周囲」という型。
生物の仕組みに共通する、「親と子」という型。
植物の形状の、部分と全体に共通する、「枝分かれ」の型。
様々な動物に共通する、「雄、雌」「目、耳、鼻、口」などの型。
ある情報の型が、至るところで顔を出すのは、それがそれだけ有効である表れ。
たとえば、
一日の中の「昼、夜」という状態は、「光、闇」「熱、冷」という「有、無」に相似する。
そして、朝、夕、という中間的な状態を生む。
一年の中の「夏、冬」という状態も、「光、闇」「熱、冷」という「有、無」に相似する。
そして、春、秋、という中間的な状態を生む。
その結果、朝と春、昼と夏、夕と秋、夜と冬、それぞれで、光と熱のありようが相似する。
「試み、確かめる」ということは、つまり、
「表現し、味わう」ということ。
それは、
「設計し、演じ」「味わう」ということ。
それは、
「設計し」「補佐し、体験し」「味わう」ということ。
これが、
意識の「遊び」の大きなありよう。
意識の「遊び」の展開と、人の幼少期の遊びの展開にも、相似が見いだせる。
興味のままに体を動かしたり、物をいじったりする遊びは、純粋に「試み、確かめる」こと、
何かを考え出したり、つくり出したりする遊びは、「設計する」こと、
何かになりきる、ごっこ遊びは、「演じる」こと、
自力と運を試して、勝敗を競うような遊技は、「体験と補佐」の共同作業にあたる。
これらの遊びは、掘り下げれば、互いに劣らない深みをもつ一方、
初めはおよそ、順にできるようになる。
それはいわば、意識の「遊び」の展開を、時間的にたどるようなもの。
たとえば、
古くからある、仮面をつけた舞や、演劇、それらを行うことや、観ること、
物語を伝え聞くことや、読むこと、それを映像として観ること、
また、人工的な情報技術による、仮想現実を体験すること、
これらは全て、ごっこ遊びを深めたものにあたる。
つまり、様々な生を、仮想的に演じることにあたる。
人がこうした遊びを好むのは、もっともなこと。
そこで得られる喜びは、意識が様々な個体を「演じ」る喜びと、まさに相似するもの。
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あとがき
「動、静」の展開は、つまり「陰、陽」の展開とも言えます。
ただ、「陰陽」には「男女」などいろいろな意味が含まれてしまうので、
より限定した「有、無」という言葉を使っています。
ちなみに、神話は、「陰、陽」が展開する物語として読めるものが多いように思いますが、
そこから世界の根本のシステムについて、様々な示唆が得られるかもしれません。
次号は、より人の生活に関わる“法則”についての話です。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
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